事務所通信:豊臣秀吉から学ぶ「経営戦略」

札幌の税理士、佐藤寿志です。

百姓からスタートし天下を統一した豊臣秀吉は立身出世の代名詞と言えるでしょう。彼は、類まれな才能と「ひとたらし」と呼ばれるほどの人望で数多くの戦果を成し遂げました。そこで、今回は秀吉の功績からビジネスを成功させるヒントを探してみましょう。

【一夜で城を造る】

30歳だった木下藤吉郎(秀吉)は織田信長の命により墨俣城を一夜で築いたと言われています。実際には三昼夜半を費やしたようですが考えられない早さなのは間違いありません。

秀吉は「これから面白いものをつくるのだ」と部下や地元の衆に向かって熱く説き「夜を徹しての重労働になるから、そのぶん報酬もはずむ」と約束し皆の協力を得ました。

総勢2,000人をまとめるのですから「黙ってやれ」の一言では共感を得られません。緻密な計画と彼の人望が常識を超えた早さを実現させたのです。

【敵討ちのために大移動】

信長を裏切った明智光秀を討つために短期間で軍勢を移動させた「中国大返し」という出来事があります。これは、秀吉が備中高松(岡山市)にて毛利と対峙している最中に本能寺にて信長が倒された事を知り、仇討ちのために驚異のスピードで上方に戻ったというものです。

諸説ありますが、220キロ前後の距離があるようで、当時、大軍が行軍できる距離は1日にして約24キロと言われていました。しかし、秀吉軍は実質6日で光秀のもとに駆けつけました、これは一日約40キロ移動した計算になります。

この予想以上のスピードが光秀を慌てさせ、戦況を優位に進めたと言われています。素早い物資の供給体制の準備と、高い忠誠心を持った家来の存在が常識を超えたスピードを実現させたのでしょう。

これらのエピソードを見ると、秀吉は素早く行動し、家来の人望が厚く、さらに奇抜なアイディアを生み出す柔軟な発想に優れた人物だった事が分ります。

会社経営も同様です、経営者自身が従業員に慕われ、他社のできない柔軟な発想で戦略を練り、決断したら素早く行動する。戦国時代も現代社会も成功する秘訣は一緒なのではないでしょうか。